設立の経緯

明石六郎理事は、蒲郡市で織布メーカーの会社を経営しつつ、障がいのある人や高齢者に対し深い関心を寄せていた。
1981年12月、愛知県内の身体に障がいのある人・精神薄弱者の援護育成を目的とした「財団法人 明石会」を設立し、当時の行政政策の範囲内で障がいのある人に対する適切な施設建設を模索し始めた。
地元有志らの協力を得、蒲郡市(大場進市長当時)の支援のもとで社会福祉法人太陽の家の創設者中村裕博士との懇談を重ね、太陽の家蒲郡誘致委員会を結成する。その後、愛知太陽の家建設のため企業・各会議所・各種団体・個人への募金活動を展開し、資金収集に奔走する。その一方、経営面において、近藤豊代議士と日本電装株式会社(現 株式会社デンソー)に協力を依頼し、太陽の家との共同出資会社「デンソー太陽株式会社」設立に向け精力的に活動を行う。
1983年6月には、厚生省の内示を受け、同年8月31日愛知太陽の家起工となる。
1984年、愛知県初の特例子会社“デンソー太陽”を設立。

 明石六郎 理事
1904年3月7日→1989年10月27日

 中村裕(ゆたか)博士について 国立別府病院の医師時代にアメリカ、ヨーロッパのリハビリを研究、イギリスで国立脊髄損傷センターのグットマン博士の強い影響を受け、スポーツを通じたリハビリテーションを日本で最初に取り入れた。その後、1964年東京パラリンピック開催に尽力した。さらに身体障がいのある人の社会復帰のための仕事の場を確保するため1965年、「働く意欲を持ちながら一般企業に受け入れられないでいる障がいのある人のために、労働と生活の環境を整備し能力に応じた働きによって社会に貢献しながら自立を目指す」ことを目的に「太陽の家」を設立した。
それと同時に協力企業の誘致に全力を注いだ。その生涯にわたっての驚異的な行動力は障がいのある人の幸のため確固たる信念と情熱によってささえられた。

 中村裕 博士
1927年3月31日→1984年7月23日

企業理念(設立の目的)

目指す姿